埼玉県川口市で電気工事業を営む田村電設株式会社の代表取締役・田村誠一さん。工業高校を卒業後、大手の電気工事会社で7年間、施工管理を経験し、父の体調不良をきっかけに家業へ戻りました。
田村電設は、自社での情報発信を通じて、直請けの割合を3年間で4割から8割へ伸ばしました。自分たちで価格を決められる仕事が増え、社員の給料も2年連続で上げています。
その出発点には、売上の6割を占める元請けからの発注がほぼ途絶え、会社が止まりかけた経験がありました。1社依存の危うさに直面した田村さんが、どのように得意分野を言葉にし、自分たちで仕事を取る会社へ変えていったのかを聞きました。
工場の現場から、家業の電気工事へ
Q. 事業を始める前の経歴を教えてください。
田村:工業高校を卒業してから、大手の電気工事会社に入り、施工管理を7年間担当しました。規模の大きな現場で、工事を安全に進めるための工程管理や、複数の職人が同じ基準で動くための段取りを学びました。現場では、図面だけでなく、その場の状況を見て判断する力も鍛えられました。
Q. 家業を継ぐとき、何を変えようと思いましたか?
田村:父が体調を崩したことをきっかけに、家業の電気工事へ戻りました。父の代は一人親方で、元請けから指示された仕事をこなす下請け中心の形でした。戻った当初から、このままでは単価を自分たちで決められず、人も育てにくいと感じていました。施工の技術は受け継ぎながら、お客様から直接相談される会社へ変えたいと思い、2004年に法人化しました。
1社依存で会社が止まりかけた日
Q. 忘れられない出来事は何ですか?
田村:リーマンショックの直後です。当時、売上の6割を占めていた元請けからの発注が、ほぼゼロになりました。3か月ほど仕事がない状態が続き、それでも社員の給料は支払わなければなりません。自宅を担保に借り入れをして、何とか会社をつなぎました。仕事が入るのを待つだけでは、社員も会社も守れないと痛感しました。
Q. その経験から何を学びましたか?
田村:1社に依存することは、会社を人質に取られているのと同じだと学びました。取引先との関係が悪くなくても、相手側の事情で発注が止まれば、自社では何も決められません。下請けから抜け出すには、一時的に売上が落ちる怖さもあります。それでも、自分たちでお客様と出会う経路を少なくとも一つ持つ方が、長い目で見れば会社を守れると考えるようになりました。
得意を言葉にして、自分で仕事を取る
Q. この数年でいちばん大きく変えたことは?
田村:ホームページを作り直し、現場でよく相談されることを自社で発信するようにしました。以前のサイトは名刺代わりの1ページだけで、問い合わせは年に数件でした。そこで「工場 電気工事 止めない」のように、お客様が実際に検索する言葉から記事を作りました。一般的なサービス名を並べるのではなく、「稼働中の工場を止めずに工事したい」「古くて図面がない」といった困りごとに対して、当社ならどう対応できるかを伝えています。
Q. その前はどんな困りごとがありましたか?
田村:営業をするのは私一人で、既存のお客様や紹介への対応だけで手いっぱいでした。新しいお客様に会う時間をつくれず、元請けの仕事では価格も先方に決められるため、利益を安定させにくい状態でした。情報発信を始めた最初の半年は反応がなく、私が夜中に記事を書く形も続きませんでした。今は、私が現場の話をして、外部の方に文章へまとめてもらう体制にしています。
Q. 他社と比べて自信がある点はどこですか?
田村:稼働している工場を止めずに工事できることです。施工管理の経験者が3人いるので、夜間や休日も使いながら工程を細かく組み、翌朝の通常操業に間に合わせます。図面が残っていない古い建物でも、現地で配線を追い、図面を起こすところから対応できます。施工後の点検や保守も自社で行い、不具合があれば工事を担当した本人が現場へ向かいます。
直請け8割へ。職人の給料も上げられた
Q. 取り組んでどんな変化がありましたか?
田村:直近3年間で、直請けの割合は4割から8割へ増えました。問い合わせは月に5件から8件ほどあり、年間の施工件数は約120件です。「夜間に工事をしたい」「図面がない」といった、当社の得意分野に合う相談が多いため、受注にもつながりやすくなりました。元請けに単価を決められる仕事が減り、現場の条件と必要な技術を説明したうえで、自分たちで価格を決められるようになりました。その結果、社員の給料も2年連続で上げられています。
Q. お客様からはどんな声が届きますか?
田村:「連絡が早い」「他社に断られた工事を受けてもらえた」と言っていただくことが多いです。ある食品工場では、稼働を1日も止めず、夜間に400台の照明をLEDへ交換しました。工事後には、電気代が月に約18万円下がったと伺っています。設備を入れ替えるだけでなく、操業を続けながら結果を出すところまで考えることが、信頼につながっていると感じます。
Q. 苦労したことも教えてください。
田村:情報発信を始めても、最初の半年は問い合わせが増えませんでした。現場を終えてから夜中に記事を書く生活を続けましたが、無理がありました。また、過去には見積もりを安くして仕事を取った結果、赤字になり、社員にも無理をさせ、品質まで落としてしまったことがあります。安さだけで選ばれた仕事は、次も安さでしか選ばれません。その失敗から、当社にしかできない対応と、その価値を伝えて価格を決めるようになりました。
断らない理由を探す、という仕事の流儀
Q. 仕事で最も大切にしている考えは?
田村:「断らない理由を探す」ことです。難しい現場ほど、他社が断っているので、当社が受けられればお客様には本当に喜んでもらえます。もちろん、安全と技術の裏付けがある範囲での話です。最初からできないと決めるのではなく、工程を変える、時間帯を変える、現地をもう一度調べるなど、実現できる方法を探します。父から繰り返し言われた「電気は人の命に関わる」という言葉も、判断の土台にあります。
Q. 人と向き合うときに意識していることは?
田村:悪い情報ほど早く伝えることです。工期の遅れや追加費用の可能性があれば、分かった時点でお客様に伝えます。社員にも「これをやって」と指示するだけでなく、なぜ必要なのかを説明します。次の現場で自分で判断できる人を育てるには、結論だけでなく理由を共有することが大切だからです。
Q. これから挑戦したいことは何ですか?
田村:太陽光発電と蓄電池の分野を強化しながら、若い職人を採用して育てる仕組みをつくりたいです。今は40代以上の職人が中心なので、施工管理ができる人をあと2人育て、3年後には私がすべての現場を見なくても会社が回る状態を目指しています。対応エリアも広げ、売上は現在の1.5倍ほどを目標にしています。地元の工場やお店が設備を良くし、コストを抑えて事業を続けられるように支えることが、地域への価値になると考えています。
田村誠一さんが貫く「断らない理由を探す」姿勢
田村電設の変化は、特別な営業手法だけで生まれたものではありません。稼働中の工場を止めない施工、図面のない建物への対応、施工後の保守という現場の強みを、お客様が検索する言葉へ置き換え、発信を続けたことが直請けの増加につながっています。「断らない理由を探す」という姿勢を、施工だけでなく仕事の取り方にも貫いた歩みだといえます。
田村誠一さん・田村電設株式会社の会社情報
田村 誠一/工業高校卒業後、大手の電気工事会社で約7年間、施工管理を担当。父が体調を崩したことをきっかけに家業へ戻り、父の事業を継承した。2004年に田村電設株式会社を法人化し、現在は代表取締役として電気設備工事と会社経営を担っている。
| 会社名 | 田村電設株式会社 |
|---|---|
| 代表者 | 田村 誠一 |
| 創業 | 2004年 |
| 業種 | 電気工事業 |
| 事業内容 | 商業施設・工場の電気設備工事、LEDなどの省エネ改修、法定点検・保守、太陽光発電・蓄電池の設置 |
| スタッフ | 18名(施工管理3名、職人12名、事務3名) |
| 対応エリア | 埼玉県全域・東京23区北部 |



